「さざんかの宿」の歌詞だ。
昨日も酒場でみんなに尋ねた。
 
  くもりガラスを手で拭いて
  あなた明日(あした)が見えますか
  愛しても 愛しても
  ああ 他人(ひと)の妻
  赤く咲いても冬の花
  咲いてさびしい さざんかの宿 

 

悩んでいるのは、これは男目線なのか、女目線なのか、と
いうことだ。
Aさん曰く、「もちろん女だろう」
僕「だとすると、ああ他人の妻というのは自分の運命を
嘆いているということ?それってバカみたいじゃない」 
Bさん、「男だろ」
僕「そうなら、演歌には珍しい結構女々しい男だよね」
    
で、2番を続ける。
   

  ぬいた指輪の罪のあと
  かんでください 思いきり
  燃えたって 燃えたって
  ああ 他人の妻
  運命(さだめ)かなしい冬の花
  明日(あす)はいらない さざんかの宿 
 

Aさん「やっぱり女だろ。かんでください、だもん」
Bさん「男が女房に悪いと思って悔やんでるだよん」
Cさん「わかった。1番が男で2番が女だ。
    女も不倫なんだよ」
僕「じゃあ、3番いくよ」 
 

  せめて朝まで腕の中
  夢を見させてくれますか
  つくしても つくしても
  ああ 他人の妻
  ふたり咲いても冬の花
  春はいつくる さざんかの宿 

 

Aさん、Bさん、Cさんは飽きたのか、
「どっちでもいいじゃん」と話題は違う話に。
「どうでもよくない」と僕。 
 

なぜなら僕はその昔、「夜の訪問者」(小川順子)、
「お世話になったあの人へ」(小林旭)などの
ヒット曲を持つ作曲家、城賀イサム先生に
弟子入りし、作詞家を目指した時期がある。
そのときに目指していたひとりが、この歌詞を書いた
吉岡治先生なのだ。
だから先生の書く詞がわからないということは
作詞家として才能がないということにつながる。
なんてことを思い日々悩んだのです。 
   

当の吉岡先生は「どっちでもいいんだよ」と
にやり笑われたという。
皆さんはどう思いますか。
  

ちなみに僕の答えは、つまは万葉の頃から夫と
書いた。男にも女にもとれる言葉だった。
今、夫をつまを呼ばせるのは無理がある。
そこで、妻という文字にしたので、混乱が起きた。
それを吉岡先生はほくそ笑んでる。
  
この解釈、どうかな。